どんぐり学舎

かてごりー:中学生のこと

芋泥棒、守る先生

なぜそんなことをするのか、という子どもの背景に目を向けたことはありますか?

子どもの問題行動や態度に、目くじらを立ててとにかく子どもを責める

それで子どもは落ち着くか、よい方へ向かうのか、という疑問があります

 

購読している教育系の月刊誌の「私の出会った先生」というコーナーに今月、

脚本家のジェームス三木さんの手記が載っていました

 

三木さんが中学2年のとき、敗戦後の混乱がまだ続いている昭和24年ごろ、

あまりの空腹に友達と学校の近くの芋畑から芋を盗み食いをしたのですが

--集団泥棒、と三木さんは書いてます

被害を受けた農家の方が、足跡から犯人をつきとめて、

学校へ怒鳴り込んできて、大問題になりました

職員会議で、責任を問われた三木さんの担任の先生はこう言いました

「無一物の者が盗みを働くのは、罪にならないとお釈迦様は言っている。

 子どもたちの飢えは、社会の責任である。」

三木さんたちは自分たちの芋泥棒の後のこの騒動を全く知らされずに

真実を知ったのは10年ほど後だったそうです

のっしのっしと歩く牛のような大男で

男女で70人ほどのクラスメイトの中で殴られなかった生徒はひとりもいない、という

とっても怖い先生だったそうですが

後々先生にかばわれたことを知った三木さんは、驚きと感動を覚え

正邪善悪の固定観念とは別の価値観があることに気づかされた、

と書いています

少年時代の先生との出会いが、脚本家になるという現在の自分に続くきっかけになったと

 

子どもたちの飢えは、社会の責任である

 

芋泥棒は確かに犯罪です

丹誠込めて畑をつくっている農家の方にとったら、こんなにがっかりする事件はありません

裁かれるべき悪いことには違いないのです

でも、先生は生徒達がまともに食べられていないことを知っていたのです

遊び半分で万引きする現代っことは違い、生きるための盗みだったのです

時代背景も今から考えると特殊なので、すべて参考にこのように、ということではありません

ただ、

先生として立つべき位置に、このように立っている先生が

いまどれだけいらっしゃるのかと

ふと考えたのでした

 

むすめたちの通う小学校の周辺は田園地帯なので

時々「あぜ道にはいった」だの「空き地に入った」だの

「水をせき止めるための板をひっこぬかれた」だの

農家の方にとっては致命的であろう困ったいたずらに対して苦情が寄せられます

先生達は通報のあった方面を通学路としている町の子達を招集して、

犯人捜しをしたり、説教をしたりするようです

先日長女も招集されて、とっても嫌な気持ちがした、と心情を話していました

 

保育園の先生からも、お散歩中にみんなで

田んぼの中の生き物をのぞき込んでいただけで

クレームを受けた、という話を聞きました

 

子どもたちの居場所はどんどん狭くなっています

自然豊かな群馬でさえも高崎のような地方都市では

道路はすべて舗装され、生き物がのぞける場所も減りました

「公園」まで行かないと安心して遊べる場所はなく…

ちなみに農村地帯に「公園」はあまり作られません

住宅地や工業地には公園をつくらなければならない法律があるそうですが

農村にはそういうきまりがないから公園はあまり作られない、と聞きました

昔なら、農村地帯には公園など必要ないほど遊び場があったのでしょうけれど

今や、あぜ道や空き地に入っただけで学校に苦情が寄せられるのですから、

子どもたちはアスファルトの道路を注意深く歩くことしかできません

 

芋泥棒を「社会の責任だ」と堂々と反論した先生の話を読んで

わたしたちになにができるだろう、と考えたのでした

 

ただ、わかっていることは、

子どもたちは大人の鏡で、

わたしのような立ち位置にいると、子どもたちの背景である社会や、学校や、家庭が

反射して見えるような、そんな気がする時があるのです

だから、子どもたちの問題行動もよくない態度も

絶対、その子自身のせいではない、と確信しています

子どものせいにして責めていませんか?

子どもの背景を考えたことはありますか?

 

ぷろふぃーる
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