どんぐり学舎

かてごりー:小学生のこと

9学年見ていると気づく

長女は小学5年生で、いま、分母の違う分数の加法減法を習っています

ノートをのぞき込むと以下のような書き方をしていました

(これはわたしが書いたものです(^_^;))

中学生には計算の書き方など細かくチェックしているので

この書き方にはかなり違和感がありました

イコールを右へつなげていき、通分も、約分も右へ、右へ…

なにしろみづらい。ミスしても気づきづらい。なんだこれ…

せめてこう書きなさい、と指導

うーん。まだ見づらい。中学生にはこう書かせています。

どうですか、だいぶ見やすくなったでしょう

通分のやりかたはともかく、今回は式の書き方についてです

 

中学生になるとイコールは縦に揃えるよう学校でも指導されます

ただし、方程式などではイコールは右に出して、

左辺と右辺はてんびんのようにバランスをとっていて、

そのバランスを保ちながらXを求めていくのだ

ということを実践しているわけです

つまり、右に出すイコールは「同じもの」「バランス」をあらわしている

下に進むイコールは、その式を変形していくということをあらわしている

とわたしは認識しています

 

ところで上のようにイコールを縦に揃える書き方を宿題で実践した長女は

翌日また右に式をつなげて書いていたので聞いてみると

「ノートがもったいないからこう書くように学校の先生に言われた…」と

バツが悪そうに言うのです

びっしりと横につなげた1本の式が下に何問も連なるノートは

見ていてなんともいえない不快感に襲われます

そこにはスペースがなく、難しい通分も分子を増やす計算も

筆算した形跡さえありません

「暗算でしたの?」と聞くと「うん…」

とにかくノートをきれいに書かなくては、というこだわりがいつのまにかついています

びっしりとノートを埋めるような計算練習では

そのまま、頭脳にも空白がないというか、

思考の自由さがないというか、

窮屈で、固くて、…なんというか、それが不快感の原因なのだとわかります

それはあらかじめ計算が印刷してある書き込み式のプリントなどでも感じます

子どもたちに式を書かせる工夫もなければ、

余白で表現する余地も与えない

なんの進化もない計算練習です

 

ノートがもったいないから…

どうしましょう、中学生になったらイコールはたてに揃えるよう指導されるのです

あと2年で中学生になるのに、いま、この書き方で大事な計算をさせていいのでしょうか

この書き方で通分感覚や分数の変形を体感させていいのでしょうか

「勉強のためのノートならいくらでも買ってあげるから、

 もったいないことが理由ならその書き方はやめなさい」

と言うと「うん」と書き直す長女

たまたま用事で来ていたわたしの母が

「でも」

と口を挟みます

「学校の先生がそう言うなら仕方ないんじゃない」

わたし、「どう、学校の先生の言うように書きたいの?」

むすめ、「………」

かわいそうに思いましたがわたしは本人の判断に任せました

母は

「学校の先生は知らないんだよ、小学校の先生だからね、

  だから、今は学校の先生に言われたように書けば」と娘に言い、

書き直させていたようでした

 

中学校の先生のノート指導も以前より随分緩くなっている気がしています

中学生になってから入塾した生徒の中には「いままで一度もノートについて指導されたことがない」

という生徒もいました

たとえばどの教材の何ページのどの問題を解いたか、明確にしておくことも徹底していません

じゃあ、この問題を解いてみて、というといきなり問題から書き始めるのです

指導されたことがないのではなく、

指導されたとおりに書いていないのが実際かもしれません

小学校の間にはそれくらいなされたはずですから…

とにかく

書くことにこだわりがなく、そしてそういう子に限ってイコールが揃っておらず、

途中式を省き、暗算を好み、そしてケアレスミスが多いのです

少し複雑になると全く解けなくなります

ずらーっとならんだ計算ドリルの問題は解けても、それでは前に進みません

 

かつての教え子で数学が大の得意だった中学生のO君は、とにかく字が大きくて汚い(笑)

でも、自分の数字を読み間違えることはありませんでした

なぜって本当に字を大きく書くから

だって1ページに1問解いて終わるくらいです

今でもO君がノートに計算している横顔を思い出します

とにかく汚いんだけど、真剣に解いている

どんなに複雑でも、イコールを何行も縦につなげながら、右の余白に筆算をしながら、

最後には絶対に正解にたどりつく

たどりついたときの達成感と、頭脳を使いこなしたいい表情

忘れられません

数学の偏差値は70くらいありました

どんな難問でも、何時間もかけて、ひとりで解き上がるまで何日でもかける子でした

 

途中式を省いたり、暗算で手をとめてじーっと考えている子には

彼の話をするのです

数学が得意な人ほどよく手を動かしているよ

暗算したり手を止めて頭のなかで試算したりしないよ

でもよく書く子は自然と覚えてしまうのです

O君とは別の子ですが

小学生のK君はやはり算数が大好きで

難しい問題がやりたくて解きたくて…というタイプでしたが

小数分数四則混合計算では一気に分数変換するのですが

それがなにしろ速い

0.5が1/2

0.25が1/4

それくらいは頭に入っている子は多いですが

0.125は1/8まではいっていますから、

3.125は25/8と一気にやってしまうのです

覚えなさい、と指導したつもりはありません

自分自身の工夫なのだと思います

みんなのお手本にはできないけれど、彼自身の編み出した工夫は

彼に任せておきました

K君は円の面積や円周の計算でも

円周率3.14になにをかけたらなにになるか、ということまでも

自然と覚えてしまっていました

これも、みんなのお手本にはできませんが、自分の好きでやっていて、

理にかなっている、K君の頭脳では使いこなせていたので

任せておきました

彼にとっては計算なんてただの手段で、

もっと考えたいことはその奥にあったから

計算に労力を費やすわけにはいかなかったのだと思います

O君、K君、ふたりとも、見ていてすがすがしい生徒でした

 

わたしは何もしていないんですけどね

ノートが象徴する彼らの頭脳には

余白があり、字が汚くても整然としており、

思考の段取りや進化が

見て取れたのです

 

ノートが先か、頭脳が先か…

小学校1年生から中学校3年生までの9学年を毎日とっかえひっかえ見ている私は

なににおいてもトータルで考えているので、

小学生の間はイコールを横に出し、

中学生になったら縦に揃えましょう、なんて指導はできないのです

そうそう、帯分数も同じです

中学校では帯分数に直すことはありません(でも意味は理解しておかねば)

それに、約分も同じです(約分を習うまでは約分をしないのです…)

ちょっと違いますが漢字でも同じです

小学校2年生で「線」を習うのに

「泉」を習うのは6年生です

なんのこっちゃ

教科書で習ったか習っていないか、指導要領にあるかないか、

学校の先生には重要なポイントなのでしょうが子どもたちの思考には関係ありません

先取りで教える必要は全くないけれど、

もっと自由に思考させる余裕が教える側には必要で、

初期教育ではその、自由に思考させるためのベースを作ってやらねばならないのに

余白のないノート作りを指導していては逆の方向へ

子どもの思考を狭め、中学校に行ってからの伸びを抑えてしまいます

 

余白と余裕と思考の自由さが必要なのは教える方なのですよね