どんぐり学舎

かてごりー:子どもとのくらしの中で

車の中

昨日は小学校の運動会の振替休日で

珍しい平日休み、ということで

娘たちとちょっと遠くまで車で出掛けました

朝、わたしがお昼のお弁当と、帰宅後の夕食の準備をしていると

娘たち(小2と小6)がいつものようにおしゃべりをしているのが聞こえます

 

次女「(電卓をいじりながら)あーあ、8歳の誕生日の前の日まで、みんなで100歳だったのに」

長女「わたしが11歳のとき、みんなで100歳ってことは…わたしが2倍の22歳になれば

    みんなで2倍の200歳ってことかあ!」

 

ん…?ちょっと違うなあ…はてさて…変だな、って気づくかなあ

 

長女「…そうだよね?お母さん」

わたし「さ~ どうだろう。2倍で2倍かあ…お母さんも2倍の年齢になるのかあ」

長女「…あれっ?変だな…お母さんが82歳になっちゃう。そんなはずない。」

 

さて、気づくでしょうか

どうやって納得する答えを導くのでしょうか

 

さて、お弁当が仕上がったので車で出掛けます

わたし「さっきの、わかった?」

長女「まだ!でも、どんぐりで解けば絶対できる。10分でわかる!!

     あー!やってくればよかった!」

 

※「どんぐりで解く」というのは、絵図で解く、ということです。

 

次女「かくもの持ってきたよ(リュックをごそごそ)」

わたし「メモ帳ならあるよ」

長女「貸して貸して!」

 

車酔いしやすい長女です

メモ帳になにか書き始めましたが…、大丈夫でしょうか

 

長女「ちょっと待ってね、まずは10年後にはどうなっているだろう」

次女「51歳と、51歳と、21歳と、17歳だよ」

長女「全部で140歳だ」

次女「10年後に40歳増えてるってことだ」

長女「10年で40歳…あと60歳増えればみんなで200歳だ」

次女「あと60歳を4人で分ければいいんじゃない?」

長女「そうだ!60÷4で…15だ。」

次女「…(割り算未習。九九もまだ。絵に描けばできるけど車中では手が出ず)」

長女「最初の10歳と、次の15歳を足すと、25…25年後にみんなで200歳だ!」

次女「わあ!32歳だって~!おかあさん66歳だってえ!」

長女「ちょっとまって…この調子で300歳になるのもわかっちゃうよ。えーっとねえ…」

 

10分どころか、2分でできたねえ、と笑いながらドライブは続きました

 

突如頭上を旅客機ではない飛行機がうなりを上げて飛んでいきました

米軍基地の近くでした

金髪の軍人が基地内に見えたようで

長女「なんで…アメリカの基地が日本にあるの?」

次女「通ってるの?住んでるの?」

見たことのない景色に質問は続きました

わたしは、小学生にわかるようにいろいろな話題を混ぜながら史実を伝えました

あまりわたしの感情や政治的思想はあからさまには言葉にしないようにしましたが、

基地の説明をするのに終戦後の話をしないわけにはいかないので

わたしの祖父

つまり

娘たちにとっては大好きなじぃじのお父さん、曾祖父ですが

じぃじが赤ちゃんの時に

じぃじのお父さんは戦争に行かなければならなくなって、

そのまま死んでしまって日本に帰ってこられなかったという話はしました

赤ちゃんだったじぃじは

お父さんのことを覚えていないんだよね、と

何度も聞いた話だけどふたりは神妙な顔つきになり

「なんで戦争なんかするの」

「なんで武器が必要なの」

質問は続きました

史実だけを言葉を選んで伝えても

子どもは誰でも疑問に思ったり、戦争なんていやだ、お父さんが兵隊にとられたらいやだ

普通に思うようでした

結論は出さず、ふたりの言い分を聞きながらドライブは続きました

 

休日はなかなか来られないちょっと遠くの動物園で、

ふたりは思い思いの観察をして楽しんでいまいした

大好きなオーストラリアの動物のガイドツアーが催されたのでガイドさんについて歩き、

コアラがなぜユーカリを食べるのか

なぜ有袋類がオセアニアにしかいないのか

じっくり説明を聞いていました

 

閉園までねばって

ちょっと薄暗くなってくる頃ようやく帰路につきました

正直、初めての場所から平日の通勤ラッシュに飛び込んで帰らなくてはならないわたしは

大人ひとりで心細かったのですが

動物園で買ったちいさなぬいぐるみに名前をつけるんだと問答している後部座席のふたりの声に

笑いながら高速をとばしました

なんとか渋滞を回避し、ジャンクションを2箇所クリアし、あとはまっすぐ走るだけ、

という状態になった頃

※それまで、「お母さん、いま必死で、怖いから話し掛けないでね!!」と

     威張っておいて集中しました(笑)

いつもならすやすや眠ってしまうふたりの質問の嵐が吹き荒れてきました

 

長女「たとえば虎とかライオンとか、赤ちゃんから親代わりで育てたら完全になつくのかなあ」

わたし「さあ、どうなんだろうね…肉食で、人間なんかいちころにできちゃう動物だからね…」

長女「でもさ、親だとおもえば噛みつかないでしょう?」

わたし「まあね、でも動物の真意とか本能って、人間にはわからないんじゃないかな…」

次女「人間が育てれば人間みたいになるのかなあ」

わたし「そうだねえ…でも、動物には動物の生き方があるからねえ…そうだ、この話知ってる?

     アマラとカマラっていう狼に育てられた子っていうねぇ…」

※注

アマラとカマラの話は心理学でも発達学でもよく出てきましたが、

実は作り話だったと判明したようです

ここに書くために裏付けをとろうとしてようやく知った私が無知でしたが…

事実無根というわけではなく、ある事実がちょっとした伝説のように語り伝えられたようです

発達心理学で、臨界期を学んだ時、例に出されたのを覚えています

ひとつの例であり、間違いではないとは思うのですが、伝説は伝説だったようです

 

結局、

この日は往路も復路も、ひたすら3人でしゃべっていたのでした

 

朝の、家の中での会話から始まり、

車中に続き、動物園を経てまた帰路の車中につながっています

 

お気づきでしょうか

我が家には、この、子どもたちの声以外の「音」がありません

もちろん「映像」も介入してきません

 

リビングにテレビはありませんし、

車の中では音楽もかけません

絶対に音楽はかけません!!ってことではないのですが、

なんにもかけていないのが「通常」であるということです

もちろん車内にモニターも設置していません

 

だから会話をするのでしょう

テレビをつけていたって会話はするよ、

音楽をかけていたって、聞いちゃいないし、楽しそうに会話をしているよ

思う方もいらっしゃるでしょう

でも

わたしは赤ちゃんの頃は特に意識して、

全ての感覚器官から入ってくる情報に気をつけました

目はこちらに向いているけれども、

音がすれば耳はそちらへ集中するし、

風が吹いてくればなにかしらの反応をするでしょう

小さい子ほど敏感に感覚器官を研ぎ澄ましています

 

小学生になってもそのまんまなだけなのです

でも、

身近なことに疑問を持ち、自分で調べたいとか解いてみたいとか

いつまでも気にして質問してきたりとか

まあそんなに熱心にいつまでも興味をもっているわけではうちはないのですが

空想したりとか

想像したりとか

で、こうして自分なりの解き方で結論を導いたりだとか

 

大人にはなんてことない「音」も「画像」も

子どもの可能性にはブレーキになったり、余計なものだったり、

することがあるのではないでしょうか

 

見慣れぬ景色に反応して

いろいろな疑問を持った娘たちとの会話が

あまりに楽しかったので

「音」のないドライブをお薦めしたくなりました

 

反面、車に乗り込んだとたん「テレビつけてよ!」と親に威張っていた知人の子を

思い出しました

幼児でありながら、好きな?音楽をがんがんにかけて、のりのりだった子も思い出しました

 

なんとなあ~く、

ああ~

このまんまじゃ、糸山先生のおっしゃる、人間的感味力なんて…育つわけないよなあ…と

思うことがあるのです

感味力が育たなければ、

自分のことも、他人のことも、周囲の自然のことも、

大切に思うこともできないのです

なぜ勉強するのかとか

面倒くさいとか

考えるのがつらいとか

そういう症状の子たちが多いのも

無理はない状況なんだな…と

悲しくなったりするのです

 

車の中

みなさんどう過ごされているでしょう

素晴らしい季節

窓の外には美しいものがいっぱいです

自然の中に入っていけば

風がいろんなにおいを運んできます

わたしたちはその中に立って

ああ、ただの「一部」なんだなあ、と苦笑することができます

 

秋のドライブ

音も画面も消して、

子どもたちと楽しんでください

 

※コアラの食べ残したユーカリを「しおりに」と頂きました

 そして車中で殴り書きした「どんぐりで解く」といいながらあまり模範的でない長女のメモ