どんぐり学舎

かてごりー:小中学生のこと

遊びも勉強も「自分から」本気になれる

ゆうべ、中学生の生徒に話していて思ったのです

世の子どもたちは

「迷う」ことや「行き詰まる」ことに「苦悩」し、

自分の力でそれらを打破するべく努力したり工夫したりするような

経験がないのではないかと

そして周囲の大人たちももしかしたらもうそういう世代で、

子育てそのものももうできるだけ無駄を省き無理強いをせず

安易で便利で効率的なやり方へ…と導かれていて…

 

「勉強」に関する視点で見ていて感じることですが、

結局「生活」「遊び」全般に、

大げさにいえば(大げさでは実はないんだけど)「生き方」そのものに足りない部分は、

かつては当たり前だった「不便さ」や「わかりづらさ」などなのではないかと

 

不便だから工夫して、

わかりづらいから自分なりにいろいろな解釈を試して、

とにかくあらゆることに「試行錯誤」していた頃と比較すると、

なんとわたしたちの生活や子どもたちをとりまく環境は

「進化」してしまったことか

そしてそれは

わたしたちも、こどもたちをも、「退化」させてしまったことか

だって

工夫する必要も、努力する必要も、

そう、試行錯誤なんか全く要らないのですから

 

ほら、友達の電話番号をいくつ記憶していますか?

わたしも…もう記憶していません

だって、電話機が記憶してくれているから

ところが、高校時代毎日のように長電話していた友達の家の番号は

いまだに覚えていたりして…(笑)

 

子どもたちに限って考えてみると、

「遊び」そのものもかなり受動的で、もはや試行錯誤は要らなくなってしまっています

いやいや、イマドキのゲームは結構複雑で、頭を使うよ~という反論も想定内

そうではないのです

我が家にはvideo gameはないのでイマドキのゲームは確かに知らないけれど、

結局、プログラムにのっかっているのは事実

自分で考えて、工夫して作り出した遊びとは雲泥の差です

リセットもできないし、

攻略法もないし、

終わりもない

そんな創作遊びとは比べものにならないほどスケールは小さいのです

 

テレビも同じです

以前にも似たようなことを書きましたが、

プロの方が子どもたちを楽しませるために真剣に作っているのですから

テレビの前に座れば楽しい時間が過ごせます

でもやはり、こちらはゲームよりもっと受動的です

自分の意志にかかわらず、テレビの中は勝手に進んでいきます

 

幼い頃からそんな遊びを中心に育った子どもたちが

今度は小学校に入って「勉強」を始めます

正直、小学校低学年の勉強なんて全て教科書は要らないんじゃないかというくらい

生活に密着した、とうに自然にできるようになっていることや知っていることを

なぞるような内容にしか思えないのですが

それでも「教科書」に収められるととたんに子どもたちは萎縮して、

「テスト」なんてかしこまると、

なんだか、できなくなってしまう子も出てきます

 

そうなると、「できるようになるために」塾や、教材を親御さんは探します

みんながやっているから、と通信教材を使う人は多いようですね

うちは塾も公文も行っていない、けど通信講座だけは一応とってるの

という話もよく聞きます

 

「テストで点数がとれるようになるために」作られた授業内容や

テキスト、通信教材を使うことによっていったいどういうことがおこるか

やはり、

安易で効率的な方法で必要な部分だけを勉強する

一見、無駄のない最適な方法に見えるのですが、

わたしにはとても危険な方法にしか見えないのです

 

そこで昨日中学生に話してみたのです

 

「これが要点です!」とまとめられていたら、それはありがたいよね

「これが試験に出ます!」とまとめられていたら、もっとありがたい!!

それをしておけば100点とれたら嬉しいよね

だけど、

じゃあ、たとえば歴史の教科書

どこにも「これが要点です!」ってまとめてないよね

まあ、多少、太字だったり、章の最後には流れがまとまってたり、年表があったりするけど、

でも、

ただただ大量に、どどーっと書いてあるだけ

どこが大事かなんて、どこが試験に出るかなんて、書いてないよね

ここからここまでの100ページが試験範囲だとするでしょ

そのうち、テストに出るのなんか、20ページ分くらいかもしれない

それを、前年の傾向だとか、よく出る内容だとかで、凝縮して「試験に出る!」と

まとめてもらった教材だけを、テスト前に勉強するとするよね

そしたら、見事高得点がとれた!

…でも、残りの情報はどうするんだろう?

80ページ分の内容は「試験に出ない」「重要じゃない」から不要なの?

もし、次の試験や入試でそこがつつかれたらどうなる?

1回のテストで高得点をとれれば、人生勝ち組なの?

もうそれで安泰なの?

わたしはそうは思わないんだ

だからこういう授業形態にしてるんだよ

わたしは教えない。導かない。指示しない。要点をまとめたりしないの。

この数学の問題集も、基礎から入試問題まで、どっさりつまってるよ

どこをするかは、毎回自分で決めるの

自分にはなにが足りていないか、Qノート(わからん帳)で全てわかるでしょ

だから、どこを経験しておきたいかは自分で選ぶんだよ

学校ではどうせ授業は受けているんだから、授業中をしっかり過ごすしかないの

理科や社会は「わかんない」じゃない。わかろうとしてないだけ。

紙の辞書と電子辞書と一緒

一瞬で検索できる電子辞書と比べて、

時間も手間も、無駄の多いような紙の辞書だけど、

調べようとした単語の他にも実は脳には様々な無駄な情報がインプットされてるんだよ

関係ないところに引き寄せられて、あれ、なに調べようとしていたんだっけな、なんて

わたしもよくあるよ

挿絵やトピックみたいなのじーっと見ちゃったりね

でも、それでいいじゃない

無駄があるものなの

無駄っぽいことがね

実際には無駄じゃない

全部意味がある

全部繋がってくるよ

そこが強味になるんだ

 

要点だけ覚えようとしても1ヶ月後には全て忘れる

これは、要点だけを教える塾からうちに来た子たちが証明してる

途中式はどうでもいい、答えさえ出ればいい、と、学校の先生にも塾の先生にも

注意されなかった子が、ここでは途中式は超重要だから、慣れるまで苦労したみたいだよ

結局そこから抜け出せなかった子もいるし、

気づいて、目ざめた子は本当にノリノリで勉強することができた

テスト前になると「で、要点はなんなの?」って期待が湧いて来ちゃうんだね

でも教えない。意味ないもん。だから、ここはヤダって子もきっといるよね。

 

だから普段の授業は退屈でしょうがない

学校の授業もね

だって

ほとんど試験には出ないんだもの

試験前には「試験に出るよ」って教材をやれば点数はとれるんだもの

普段から集中しておく意味感じないんじゃないかな

もったいないよね

すごくすごーく、私から見ると簡素でもろい勉強法だよ

世の中に出ても、なんにも自分から動けない

指示されたことだけはできるかもしれないけど、

自分から生き甲斐を探すなんて難しいかもしれないね

で、困った時には「誰か要点をまとめて!」って叫ぶのかな

「どれが大事か教えて!」ってね

 

で、結局

わたしはそれでもこの教室に来ている中学生には

それはそれはひとりひとりについて毎日悩み抜いて、

それこそ試行錯誤して、

それとわからぬように導く…わけなのですが

絶対に自分の力で勝ち取った、と思ってもらえるように

センセイのおかげで合格しました!なんて、言ってもらいたいなんて思っていません

自分の力がここまで出せた!!と

心から思ってほしいから、

むしろ、ここへ来たら「自分の力」がここまで伸ばせたんだ~って思ってもらえるように

 

そう、そして最初に戻りますが、

ここまで読んで

「なんと難しい…指示もしてもらえず、解き方も示してくれないなんて…」

「うちの子にはとっても無理だわ~」

と思う方が多いかもしれませんね

それは、遊びと同じなのです

依存型、受動的な遊びで育った子はこういうやり方はそう簡単にはできないでしょう

勉強でも同じように、

依存型、受動的な方法を求めます

「遊んでもらう」「楽しませてもらう」ことだけで育った子は、

同じように勉強でも自主性が発揮されることはありません

いつも書きますが、

そんな遊びばかりで幼少期をすごしておいて、小学生や中学生になったら急に

「自分から勉強しない…」と悩むのは筋違いです

全て、最初からできあがった筋道です

できあがった…というか、作ってしまった…というか

 

すべて、つながっています

どうかへんてこりんな、子どもをダメにするスパイラルにはまって抜け出せなくなる前に

気づいて飛び出してきてください

お金と時間をたくさん使ってしまう前に

飛び出してきてください

子どもが子どもらしい目の輝きを失う前に

 

いくつか、戻る道はあります

それにはわたしたち大人が

やはり試行錯誤、工夫、努力するしかないのです

長い時間がかかっても、あきらめてはならないことではないでしょうか

だって

子どもの将来がかかっているんですから