どんぐり学舎

かてごりー:子どもとのくらしの中で

わかってるようで、わからないわが子のこと

「うちの子、○○なところがあるんです」

「そういうの、苦手な子なんです」

「こういうタイプの子なんです」

 

たくさんの親御さんと話していると、

わが子のことをわたしに説明しようとして、

こんな子、あんな子、と、一生懸命言葉に表してくれるものですから、

よくぞそこまで冷静に細かに分析できるもんだなあ!!と感心する一方、

プロとしていろんな子と接している私は、

この子はこういう子、あの子はああいうタイプ、なんて

決めつける必要なんてないことや、

決めつけることでその子の可能性が狭められることを知っていますから、

どうか、お子さんの前でそんな発言はなさらぬよう…と

願うばかりです

(時には本気で忠告してしまいます)

 

親御さんがいないところで、子どもたちは親御さんの思い描いた通りの子どもでいようと

涙ぐましい努力をします

または、ど反発します(笑)親の前でだけ、理想的な姿を見せる…これ、重症です

とにかく、

親御さんの決めた枠の中で一生懸命生きようとするのです

たとえば「気が弱いんです」と親御さんが発言したら、

その子は「自分は気が弱い」とすり込まれますから、

なにか壁に当たると「自分は気が弱いから…」

褒められても素直に受け止められず「でも、気が弱いから…」と

どうしてそんなことを思う必要があるかね?といくらわたしがフォローしても、

かたくなに、

子どもは大好きな親御さんの言葉を信じています

たとえそれが親御さんの望む姿でなくても、

負のイメージだとしても、

やっぱり子どもには親の言葉が重く、重要です

 

「絵が苦手なんです」「絵が嫌いなんです」と言われるケースも、

どんぐり問題をやっているともうしょっちゅう、あります

そういう場合、お子さんはやはり「自分は絵が苦手」と思いこんでいます

 

※注※

何度でも書きますが、世の中全部、「絵」でできているのです

「家」も絵

「3」も絵

「友達」も絵です

知り合いの眼科医が、話していました

わたしたちは視覚情報だけで生きているようなものだ

視覚でまず画像を受け取り、そこから文字や数字に変換している

だから

視覚が最も重要だ、と

こうして文にしてみると当たり前のことですが…

 

太古の人類が残した壁画や、古代文明の象形文字のように、

わたしたちは物事を伝えようと試みた時、最初は絵を使いました

それから絵を図に、図を文字や数字に、進化させていったのです

 

新生児に円形のカードを見せた時、

目玉のように黒い点をふたつつけるとそちらを凝視します

新生児にも狭いけど視界はあり、

いつも自分をケアしてくれるものが目玉をふたつもった誰かしらの人物だから、

目玉がついている方に親しみを抱くのです

だから、

絵が苦手、ということは、幼児の時点ではとても不自然なことです

初めてクレヨンや鉛筆を持った時、

意味のないぐるぐるを描いた時、(意味なくないんですけどね)

嬉しくてたまらない、という様子だったのではないでしょうか

汚されないよう制限したり、描いた絵をまさかバカにしたり、

していませんよね…?

絵じゃなく、字を書いた時、数字を書いた時、

褒めてしまいましたか?

わが子は天才だと思い、ついつい、褒めてしまったかもしれませんね(笑)

でも、子どもにとっては数字も字も絵です

なにがなんだかわからないけど、

目に入ったもの、イメージしたものを描いてみたい欲求は、

最初は誰にでも備わっていたはずのものです

それをせき止めてしまったのは、

もしかしたら親御さんや、幼児教育の一部を担った教育者かもしれません

 

わが子の話をします

自分に言い聞かせる意味でも、今の時点で気づいたことを

 

長女は比較的おとなしく、消極的な子でした

赤ちゃんの頃から臆病で、魚の路上販売の車の流す音楽に毎週びっくりして

家の中のどこにいても真っ青な顔でわたしの膝の上に飛んでくるような、そんな子でした

まず、出産時からそんな子で、どうしても下りてこない、産まれようとしてこない、という

ひと騒動の後やっと生まれた子でしたから、育てながらも、なにか象徴的に感じました

3歳まで自分の手でゆっくり育てたい、と、どんぐり倶楽部とシュタイナー教育を同時に実践しながら

保育園入園までを家庭で過ごしましたが、今思えば反省することばかり

それはまた別の機会に書くとして…

それでもテレビ無し、ゲーム無し、人工的な遊び場なし、の方針は最初からでしたから、

朝起きるとお昼のおにぎりまで一気に作って、毎日外へふらふら出掛けました

夕方から仕事なので、なかなか心の奥までゆったり、というのは平日は無理でしたが…

 

その頃、子育て支援のNPOにスタッフとして、また、幼児を抱えた母親として、

同時に参加していたので、他のスタッフに客観的にアドバイスを受けたりすることがありました

そこのスタッフは子どもの可能性を信じる、子どもを決めつけない、という考え方でやっていたので、

何度も、何度も、救われる思いをしたものです

たとえば

親と離れてひとりでみんなと交わって遊ぶ子もいれば、

ずっと親の膝の上を離れない子もいる

ピアノに合わせて動き回る時も、

一人で伸び伸び、楽しそうに動く子もいれば、

親に抱っこ抱っこで絶対にひとりになんかなれない子もいる

わが子の場合、最初から最後まで「後者」でした

とうとう最後まで、自分一人で伸び伸びと遊ぶことはしてくれませんでした

他のお母さんに話し掛けたり、他の子と楽しそうに遊んだり、

リズム運動を楽しそうにやっている子をみて、うらやましい…と心から思ったものです

でも、

スタッフは口を揃えて、「いいのいいの、そういう子はそういう子。ちゃあんと、わかってるんだよ」

と、全く心配する様子もなかったので、

「まあ、そんなもんか。」とわたしは思えたし、

自分もスタッフとしていろんな子を見るようになると、その意味がわかりました

その数年後に出版された、「弘道お兄さん」の『子どもはぜんぜん、悪くない』

という本にも、同じ事が書いてありました

 

子どもはぜんぜん、悪くない。 子どもはぜんぜん、悪くない。
佐藤 弘道

講談社 2005-04-21
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長年、「おかあさんといっしょ」で子どもたちと体操をしてきた弘道お兄さん

せっかくのテレビ出演、親は期待を込め、気合いを入れ、臨みますが、

いるのだそうです、やっぱり、「壁の花」で終わる子は(笑)

でも、弘道お兄さんにはわかっているのです

 

そんな未就園児時代を経て、保育園に入ると、

もっと客観的にわが子を見る機会を得るようになります

ややワイルドな保育園でしたから、元気で積極的な子が多く、

長女はやはり、そこでもなかなか前に出るタイプではなかったようでした

保育士の先生との面談のときに、「存在感がなくて…よくわからないんですけど…」と

言われた時はさすがにショックでしたが(笑)

卒園時に頂いた「思い出のビデオ」にも、ほとんど映っていなくて、

まあ、そんな感じだよね

と夫婦で(もちろん長女が寝た後に)苦笑したものです

カメラの前にずんずん出ていくような、そんなタイプじゃなかっただけだと思います

 

小学校に入っても同じようでした

担任の先生からは、「声が小さいです」「挨拶ができません」

その頃、わたしも理論武装が徐々にできあがってきていましたから(笑)

何を言われても「はーい、よく話しておきまーす」と適当に流すこともできました

でも、親といたって声は小さいし、挨拶もしないし…とにかく消極的を絵に描いたような子でした

短期の合唱団に親子で入団したこともあり、

あまりの消極的な態度にいらつき、感情的になって叱ったことも何度かありました

今思えば、なんであんな風に叱ってしまったのか、長女には申し訳ない気持ちで一杯です

それだけ、わたしも未熟な親だということです

 

その頃には次女が(長女とは全く違った雰囲気で)すくすく成長していました

そんなどさくさもあり、長女にばかり集中できない状況が功を奏しました

 

わたしが目を離した隙に、長女はこの後、

めざましく…(といっても、長女らしくのんびりと)進化していきました

校内音楽会で「合唱部」の演奏に心を奪われ、

入部が許される学年になるとひとりですたすた入部を申し込んできてしまいました

合唱団の時はあんなに苦手そうにしていたのに…合唱部ですって?と

心の中で思いましたが「へえ、入部したんだ」と微笑むにとどめました(笑)

学校の授業では相変わらず控えめな態度を貫きましたが、

私の中では「いっぽんとおってる」長女が見えてきました

中学生になった今、「決めつけなくてよかった~」と

心から思えます

うちのこ、こういう子なんです

この子、こういうところがあるんです

なんて、

今思い出してもどの瞬間に使えばいいフレーズかわかりません

総合的に見ると、全体的な傾向は見えます

…たとえば、以前あまりにも目に余るので糸山先生にまで相談してしまった

「かたづけない」こととか…

でも、中学生になり、自室を得た今、長女は長女なりに整頓し、

なんとかうまくやっているように見えます

忘れ物もしているようですが、もうノータッチなのでわかりません

自分で困って、恥をかいて、少しずつ改善してくるでしょうか

朝も起きません

イライラしますが、わたしも朝は苦手でした

大人になっても母に起こしてもらうような、だらしない娘でした

だからしょうがないか~!!って思えます

 

次女は次女で、ここ数週間で意外な進化を遂げています

言葉にするなら、「うちの子、作文が苦手なんです」とでも言いましょうか

正直、あまりに文章を作れない次女に内心あきれかけた時期もありました

でも、

糸山先生の著書や、言葉を信じ、ただひたすら、待ちました

だって、

話す言葉は、語彙力は、かなり高いと感じていたからです

お姉ちゃんがいるからなにかと早い、というのをさしおいても、

次女の言葉の遣い方には興味を引かれました

絵本のフレーズをマネしたり(だからよい絵本を選ぶことが重大)

親の言葉をマネしたり

から始まって、最近では「その言い方違うでしょ」と親に注意するくらい(笑)

学校でのことや、友達のこと、ペットのことなど、

話す内容は理路整然としていてしかもユーモアがあり、

でも本当に子どもらしく豊かな表現力でした

ただ、文章を書けと言われると、全く鉛筆が動きませんでした

宿題で作文が出ると漢字練習の方がまし…と嘆くくらい

でも、

ほんの数日前に次女が書いた文章を読んで、びっくりしてしまいました

それは、国語の教科書のおはなしの、続きを書く、というものでした

にこにこしながら、「止まらない~」とノートに何ページも書き続ける姿

いったいなにが起こったのでしょう

わたしには

わかりません

そしてその文章の出来がどうかなんて、どうでもいいです

(実際、とてもかわいくて、素敵な文章でした)

書きたいことが溢れてくる!というその姿に

ただただ、「決めつけなくてよかった~」と

ちょっと実は決めつけかけていたわたしは

反省しながら思ったのでした

 

わかっているようで、わからないものです

だって、わが子といえど、わたしの分身でもなんでもないんですから

 

性格の面でも、学力の面でも、お子さんのなにかをタイプ分けしたり、決めつけたりすることで

いいことはありません

(で、たいていの場合、それは見当違いであり、ただ子どもを型にはめるだけなんですから)

ただ、お子さんを毎日よく見ていると、親としてどうあるべきか、見えてきます

分析して決めつけるのではなく、

先回りしてレールを敷くのでもなく、

わが子が一番生き生き毎日を過ごすための環境作りと、

弱った時に倒れてきても安心して休ませてあげられる安全地帯作りだけで、

そのほか、することはないと思うのです

それだけで、お子さんは伸び伸びと力を発揮すると思うのです

ぷろふぃーる
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