どんぐり学舎

かてごりー:子どもとのくらしの中で

子は親の、自己実現の道具ではない

 

子育てに疲れたときに読む本: 親のためのコーチング 子育てに疲れたときに読む本: 親のためのコーチング
菅原 裕子

学研パブリッシング 2011-08-30
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子どもの幸せな自立、を目標に、NPOを立ち上げ、

「ハートフルコーチング」の活動をなさっている菅原裕子さんの著書

『子育てに疲れたときに読む本』からの引用、と

教えてもらった文章をまずはご紹介します

 

不幸な親は子どもで自己実現する

 

 「自分の人生は幸せではない」と感じている親はどうするでしょうか。満たされていないと感じている親は、「自分は仕方ないから、この子だけは幸せになってほしい」と言います。その一方で、子どもの人生に過剰に干渉し、そのことで満たされない自分を満たそうとします。自分ができなかったことを子どもに託し、思い通りの成果をあげさせることで自分が満足しようとします。

 つまり、子どもを自己実現の道具として使おうとするのです。子どもには子どもの人生があり、その人生を生きるための才能を授かっています。親は環境を整え、その才能が開花するまでじっと見守ればそれでいいのです。

 親には親の人生があります。自分の才能を開花させて、自分の人生を生きましょう。

 とかく私たちは、「もう若くないから」「子どもがいるから」「才能がないから」と言い訳をしがちです。でも何歳になろうと、本人がその気になれば、自分なりの方法で毎日を輝かせることができるのです。

 

誰しも、自分のことは客観的に、冷静に見えない部分があります

だから、

この著者の方も、わたしのような仕事をする人間にも、

いつも客観的にたくさんの親子の相談を受けたり、話を聞いたりして冷静に見ているから

自ずとわかることがあります

 

いいえ、うちは、違う。そんなことない。

 

と皆さん反論なさるでしょう

でも、言葉ではそう言っていても、内心そうでない

もしかしたら、無意識に

わが子を自分のコピーか、自己実現の道具(というと言葉が悪いですが)と

捉えて育てていらっしゃいませんか

 

周囲を見渡すと、たとえば、

自分がやってきた習い事やスポーツを、わが子にもさせている親御さんが本当に多いです

なんとかしてその軌道に乗せようと、あからさまに努力している方も多いです

子どもは素直ですから、

自分が好きで習っている、好きで練習している、と思いこんで、がんばっています

 

そもそも、

親自身が経験している習い事やスポーツなら、

産まれる前からその家庭に当たり前に存在する文化である可能性もあります

たとえば我が家なら、

私は赤ん坊を育てながらも息抜きにピアノを弾いていましたし、

自分がかつてかじったし、今でも好きだからスキーにもよく行くわけです

だから「ピアノを習いたい」と言い出すのも自然なことかもしれない、とは感じました

保育園時代から、周囲には習い事をしているお友達がたくさんいましたが、

どうしても習いたいなら小学校に入ってから考えましょう、とずっと保留にしてきました

小学校時代、唯一の習い事となったピアノです

週1日30分、学校でも家庭でもない場所に師を持つ経験も

少しずつすることになります

もちろん、「習い事はひとつだけ。自分のお小遣いを払ってでも」

というどんぐり倶楽部の教えを参考に、

レッスン料はほぼ子どもの負担でした

先生のご自宅に上がる、ということに対する基本的なマナー、

年賀状や、旅行先でのお土産など、師に対する恩義を形にするという常識

堅苦しいかもしれませんが、わたしはあえて、

学校でも家庭でもない場所に師をもつことになったわが子に、

堅苦しいほどの意識を持って基本を教えておきました

それがピアノだけではなく、この先の将来、なにかのヒントになるだろうと思って

だからそもそも、ピアノをどうしても習わせたい…と熱望していたわけではありません

たまたまピアノだった、といえばそんなような

家でも練習を促したり、強要したりすることはしません

練習してきたかどうかなんて、先生にはお見通しでしょうし、

先生に注意されたり、助言されたりして

自分自身が心を入れかえたり、考えたりしないことには、

絶対に進歩はないからです

 

スキーに関していえば、冬の自然遊びのひとつとして、

雪山に赴くことはいつもの流れで、

自分自身があまりにも慣れていて、赤ん坊を背負ってスキーをするのも苦労はなく、

おむつを背負っていくことにも抵抗はなかったので早くから始めていましたが、

ちゃんとしたレッスンを受けること、チームに所属すること、

身近にいる子が、本格的にスキーを習っている様子を聞くと、

うちの子も、所属させたら違うんだろうな~とよぎりつつも、

レッスンに通うことにより、削られる他の時間、金銭面、などを考えると

いつも思いとどまっています

楽しく、どこでも自由に滑れるようになることが優先でいいや、と

今は完全に納得しています

いつか、本格的にやりたい、と自分が思ったら、

それは、高校生とか、そのあと、自分でスキー場まで行けるようになってからの話でしょうけれど、

それから切りひらけばいいのではないかと

自分自身、「本格的」に始めたのが遅すぎて、箸にも棒にもかからなかったことを

ひとり悔やむことはあっても、だからわが子には…!!という思考にどうしてもならず

 

端から見れば、

「自分がスキーで中途半端だったもんだから、子どもに夢を託してるんじゃないの」と

ピアノもそうですが、そう勘違いされそうですが、一切、そんなことはなく、

ただ、環境で、どうしても親の趣味に一致してしまっている部分はありますが

(他にも…好きな動物も一緒だし…他の季節の好きな遊びも一緒だし…好きな場所も…

仕方ないですよね、家族だもん)

 

自分が勉強ができなかったから、

自分が受験で失敗したから、

スポーツを極められず中途半端だったから、

挫折してしまったから、

「子どもに同じ思いはさせたくない」

言葉にする方も多いです

 

思考力や作文力の話になると

「自分も苦手だったから」と

言う方も非常に多いです

 

聞き慣れているので、いちいち感情は動きませんが、

そういう言葉を聞くと、

「関係ないですよ~」って心の中で思うのです

もちろん、話が深くなってくれば、声に出してお伝えしています

関係ないし、親がそういう言葉を発することで、たとえその場に子どもがいなくても、

伝わってしまうんだけどな~って

思うのです

親が苦手だったから、自分も苦手、って思うか

親が苦手だったから子どもには頑張らせたい、って思いが重くて、反発されるか、

いずれにせよ、いいことなんかひとっつもありません

以前にも書きましたが、それは全て、子どもへの暗示になります

 

すぐに「関係ないですよ」と否定的なことを言わない理由があります

それは、

その話をしている親御さん自身が、

自分の中の何かを吐き出そうとしているのを感じるからです

もちろん、「言い訳」のひとつとも捉えられます

「今日は疲れているから集中しないかも」と

「超」余計なことを言ったり考えたりするケースと似ていて、

わが子の「できない」ことを自分のことに置き換えて、

もしかしたらわが子を守ろうとしているのかもしれない、

という

親の愛も感じるからです

でも、実際には(何回か前にご紹介した本にもありますが)

親は子どもを擁護しますが、それは結局自分のため、ということなのです

「わたしの育て方が悪かったんじゃない、そういう資質かもしれないんです!!」という

結局、言い訳に過ぎないのではないか、という意識が見え隠れ

もしかしたら、自分が苦手なのは自分の親のせいかも!なんて責任をどんどん転嫁して…

 

結局、親御さん自身も、自分が可愛くて、大切で、守りたい

だから、ついつい自分を守るための言い訳をしてしまうのです

自分が可愛くて、大切で、守りたいのはおかしなことじゃない

実はみんなそうなのですから、いっそのこと、もっと自分を大切に、

もっと自分だけのことを考えて、自分を高めたらいい

小さな子どもに自分を重ねたり、託したりせず、

自分自身がまだまだ飛躍すればいいのです

子どもには子どもの人生があります

私たち親は、子どもになにかを望んだり託したりする前に、

子どもの前を、自分らしく生き生きと歩いている先人であればいい

子どもには、人生の選択ができるような透き通った目と心を失わせないための

美しい環境を

 

自分が大切だから、と子どもを野放しにして、

「子どもの環境に不要」な機器等を与えて放置したりするのは本末転倒

やはり、親となった以上、その育つ環境を整える役目を放棄することはできません

 

ここで生じるのは「もし」「たら」「れば」

もし、もっと徹底的に教え込んで、本格的なチームに所属させ、レッスンを受けさせ、

英才教育を施したら、

早くに超一流の仲間入りをするのではないか!?

誰しもわが子にそんな夢を見るのでしょうか

実際、一流選手として活躍する方々や、芸術関係で極めている方々の育ち方を見ると、

幼少期からの親御さんの努力が伺えます

そりゃそうです

自分1人では右も左もわからない頃から、「それ」を始めていたのですから

 

何が動機かわかりません

一流に育てたいのか、プロにしたいのか

もし他のさまざまなことを犠牲にしてでも「それ」を早くからやらせたい、のであれば、

子どもの心も、素直で美しい部分も、決して汚さぬよう、壊さぬよう、

親は必死で勉強する必要があります

並行してそれを育てられる自信のある人にしか、

できないことのような気がします

そして実際、その両立は物理的には大変難しいことです

全てを両立してもなお、素直で優しい豊かな心を持ち、

人間として自立した大人に成長している人がいるとしたら、

それはその「特殊な子」だった可能性があります

それがわからないからとりあえず早くからやらせてみたいんだ!と

反論されそうですが

では、

素直で優しい豊かな心(ついでに本物の思考力)を持たないでもいいから、

一流の学力や技術を身につけさえすればいいのだ!と

思いますか?

そんな風に育てられた結果が、

「一流」有名人の不祥事や、

みんなが憧れる「最高峰」の大学に所属していたり卒業していたりしても

やたら最近世間を騒がせているあの人たちのような状態ではないでしょうか

どちらを優先すべきかは、圧倒的に誰にでもわかるはずのことです

そして残念ながら、

あとから身につけることができることと、できないことがあるのです

それは、少し考えればわかることです

 

たとえ子どもが「やりたい」と言っても

いま、その子に必要かどうかは、親が判断することです

子どもは目新しいことをやりたがるし、

どんぐり学舎でさえ、「無料体験授業」の時と入舎後初回の授業の時は

テンションも高くうきうきでも、毎週となると

「考える」ことに慣れていない子には苦痛の日々がやってくるようです

 

「考える」ことが苦痛なんて

この先どうするんだろう?と心配な子もいますが、

うちに長くいるほとんどの子たちはそこを乗り越えて、

いま、

それぞれのペースで進化をはじめています

ゆっくりでも、行ったり来たりでも、ちゃんと、伸びてきています

 

あと一息。

なのは、ご家庭での覚悟でしょうか

 

ひとつひとつ、重りを取り除けば、

気球のように高く上がっていきます

 

親が気づいていない重りがまだついているかもしれないですね

それが

親自身だとしたら

まずはそこを切り離す勇気が

必要なんですよね

ぷろふぃーる
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