どんぐり学舎

かてごりー:小中学生のこと

みんないい顔

いろんな個別相談や、

いろんな案件に対峙して、

いろんなことを考えてばかりで、ついついブログの更新が滞ってしまいました

書こうとすると、止まってしまい、

じゃあ、どうなるっていうのさ…と自問自答

でも、結論は見えてる

でも、ケースバイケース…

それでもわたしが書く意味があるのなら…

 

何人かの方から「滞ってるぞ」とご指摘をいただき、

しっかりしなくては、と背筋を伸ばし、今日は

いま目を閉じると浮かんでくる、かわいい塾生ちゃんたちのことを書こうと思います

 

「豊かな思考力と、たくましさと、豊かな心を同時に伸ばす唯一の教育法である」と

20年以上教育業界に携わっているわたしが出したこの結論を、

少しずつ、みなさんの心にとどめてもらうために

伝えるために

 

教室に入った当初は、目がつり上がっている子が多いんです

なんだかわからないけど、他の教育法でやられちゃったのか、

親御さんのガミガミが効いているのか、

それとも「塾」とか「先生」とかっていうものへの無意識の抵抗感なのか

わたしなんにもしてないのに~

と、泣きたくなるくらいとげとげされることが、少なくないです

ほんとに涙がにじんじゃうくらい、痛いことをされることも、ありました

そんな子にわたしがどうしてるかというと、

ただ、ただ、受け入れています

授業のあとはほっぺたが痛くなるほど、笑顔で接してます

描けない、解けない、ちゃんとできない、

自分の弱点をさらす時、ふっと見せる不安げな表情、

わたしに見られまい、気付かれまい、と必死な表情

そこから攻撃性に変わる子がいますが、

それでも、わたしは笑顔で見守っています

そりゃそうだ、最初から弱点を他人にさらすなんて動物的本能としておかしい

防御して当然です

そう本気で思いながら子どもたちを見ています

そして、

いいじゃない、別に、今日できなくたって

そして、言葉にも出します「いいんだよ、今日じゃなくたって」

「この次でいいじゃない。6年生まであと何年もあるよ。

おじいちゃんになってからだっていいじゃない。」

「そしたら先生、死んでるよ」

「そうだね!その前にできるといいね!」

みたいな

その、

「死ぬ」とか、「うざい」とか、「めんどくさい」とかって言葉も、

新入生ほど多用するのですが、段々と言わなくなります

そして、

弱点をさらすことも、時がたつにつれて、

わたしへの緊張感や、壁を取り払ってくれた子から、少しずつ、

抵抗がなくなってくるようです

特に、強いてはいないけど、でも、

段々と、変化していきます

より幼く、より素直に、入ってきた時より月齢はずいぶん戻ったような、

赤ちゃんが笑うようなやわらかで、優しい笑顔を

わたしに向けてくれるようになります

 

そんな子が教室に増えてくると、

新しい子が似たような感じになるまでに時間がかからなくなります

もし教室がもっと広かったら、

体験授業は塾生さんのいる時間帯に同時に行いたいくらいです

そうしたら、みんなが、私ではなくみんなが、この教室のことを

説明してくれるんだろうな

 

でも時々ため息をつく子がいます

「今日、学校で…」

「今日、お母さんが…」

「お父さんが…」

大量の計算をして、頭が疲れちゃった、

先生が言ってる宿題のこと、うちのお母さん全然わかってないよ、

やらないと遊びにいっちゃだめ、って

お父さんが弟にゲームを見せてるの、まだ小さいのに、最悪!

夏休みや冬休みのあとは、

テレビや動画サイトの話ばかりする子も増えます

不思議なことに(わたしにとっては不思議でもなんでもない、必然ですが)

素直に輝いていた目が曇ってきます

冴えていた思考力も鈍り、

他の子への言葉がけもきつくなるか、関わらないようになるか…

はたまた、1時間ただただ呆然とした表情ですごすか…

恐ろしい威力・破壊力を感じます

 

せっかく楽しくなってきたのにね…

せっかくこの場所にも私にも慣れたのにね…

考えられなくなってしまうと、どんぐり問題は苦痛になってきます

もったいないですね…

 

ただ、文章を図解するだけです

でも、

急に数式を書き出す子も突出します

学校で式を習ったから使いたいのでしょうね

使ってもいいんです

道具として計算を使うならば、図解の一部として書くならば、でも

出てきた数字をなんとか式に当てはめようとする、あれをし出したら、

あーあ…とがっくりします

また何かに破壊されてしまった…もったいないなあ…とね

ある子はそれで悶々と問題に苦戦した後、

「結局絵に描いたほうが早いじゃないか!!」と

まっさらから解き直し、ふんふん鼻をならしていました(笑)

まだ低学年ですが、その行ったり来たりもまた重要

素晴らしい失敗と成功を同時に味わった貴重な時間になったことでしょう

 

「あーあ」と思っても

「どこで破壊されたんだ…」と訝っても

わたしはずっと笑顔です

本当によくないことをした場合は、笑顔は消しますが、

そんなことをする子も最近はほとんどいないし、

生徒さん同士で注意し合ったりしてくるので、

まあ、ほぼ、笑顔です

そして、

声の出し方まで気をつけています

話すスピードもです

簡単に言うと、できるだけゆっくりゆっくり

動きも、話し方も、ゆっくりゆっくり

子どもたちは、

その時そこにいる唯一の大人であるわたしの、

全てを見ているから

 

すっごくイライラしながら教室に入ってくる子もいます

怒られながら来たのかな?

学校でなんかあったかな?

でも、

わたしは変わらず、笑顔で、ゆっくりゆっくり声をかけます

帰りには、見違えるように穏やかないつものあの子です

そんな、子ども本来の姿を知っているから、

どの子もみんなそうなんだって知っているから、

もったいなくて、わたしは邪魔できません

 

かつて、未就園児に触れて発達や幼児教育について学んでいた頃、

とある素晴らしい保育をする保育園の園長先生が話していました

「月曜日の子どもたちの状態は、あまりよくないんです」

なぜなら、

保育園に来ていない週末の間に、

あっというまにリセットされてしまう子が多いから、と

保育園では朝から晩まで外遊び、自然遊び、

食事も簡素で、おやつも第4の軽い食事、

歌を歌い、手遊びをし、絵本を読み、決まった時間に午睡

寒くても薄着、暑ければ水浴び、少しくらい汚れても気にしない、

テレビやビデオなど皆無

そんな平日を重ねて、人間らしく、子どもらしい目の輝きを満たして週末へ

…月曜日、

目が曇っている子が多い、と

あまりにも気になる家庭には声をかけ、話を聞いてみると、

週末は、働く親も疲れて食事も外食や買ってきた総菜、

まとめて見たいニュースのためにテレビはつけっぱなし、

買い物がしたいから、と実家に預けると、アニメのビデオ漬け、

甘いお菓子とジュースを添えて…

寝る時間も遅くなり、朝もなかなか起きない…

それで、明けて月曜日…

そんな保育園に入れている家庭もなんですか…とびっくりしながら話を聞いた覚えが

本当にもったいないですよね、

子どもたちがこんなに生きる力を身につけて、こんなに逞しく日々過ごしているのに…

と園長先生も嘆いていました

 

大人にはなんでもないこと、

大人は麻痺してしまって、わからなくなってしまっていること、

ニュースを見るのも、

大人会話も、

大人ドラマも、バラエティも、

スマホをいじるのも、

ゲームももちろん…

子どもはみんな見ていて、

やっと取り戻しつつあった人間本来の強さや賢さや豊かさを

一気に奪われて、大人と同じように麻痺して、わからなくなっていくのです

 

昨日、中学生と話したこと

話していて、ああ、そうか、と思ったこと

中学生の前で、いつものようにナイフで鉛筆を削ってみたのです

別に、特に反応はなし

「ナイフで削ったこと、ある?」と聞くと、

「あるある」とか、「おじいちゃんが削ってるの見てた」とか

それなりに経験があるみんな

つい先日、

小学生の前で削っていたら、

「なにそれ!」「なにしてるん!?」と一時騒然と…

そして究極の一言、「鉛筆って、そうなってるん!?」

※…るん!?は上州弁(群馬弁)(笑)

その時は、どういう意味かわからなかったのですが、

昨日、中学生と話していて、気付いたのです

そうか、小学生は、

鉛筆削りに鉛筆をさして芯をとがらせることは毎日しているけど、

そこに興味がないから、鉛筆のメカニズムを知ろうとしていなかったんだ

ナイフで削った経験がなくても、

鉛筆を破壊したことがあるとか、

不具合で芯だけ飛び出てきてしまうので遊んだことがあるとか、

そんな経験だけでも、鉛筆がなんなのか、知るチャンスになる

それもないとしたら、

「毎日削ってくるように」と先生に言われて、毎日削っていく小学生、

鉛筆がどういう構造で、削るってどうすることなのか、とがるってどうなることなのか、

考えもしないで済む可能性もあるわけで…

たかが鉛筆、されど鉛筆、

これからの子はどんどん、

興味なんか持たなくても勝手に自動的に整えられる時代を生きていくのかな、と

少し不安になるよ…と中学生に愚痴ってしまいました

 

で、

結局、親なんじゃないかなぁ…とやはり思ったのです

「そ、そんなことも知らないの!?」ってビックリするようなことを、

子どもたちは教室でも結構口にします

イマドキの子なんだな~と思うこともあるし、かなりまずいんじゃないか…?と思うことも

興味を持たせる、ってどういう風にすればいいんですか?と質問されることも多いです

なにに興味を示すかなんて、子どもといえど個人差があるし、

具体的にどんな方法があるかなんて、それぞれのケースによって違うものです

でも、

全体的に見てわたしにわかることは、

大抵の場合、親が子どもの興味関心を狭めて、奪っている、ということです

「うちのこ、○○なので」

「うちのこ、○○に興味がないので」

おーーっと!出た出た!また線を引いていますよ!暗示かけてますよ!と

聞いていてわたしは思うわけです

もったいないな~と

 

普通、

子を授かり親になった場合、

わが子を見て子どもを知るわけです

「子どもってこうだよね~」とね

まあ、わが子の周辺の子も知ることになるでしょう

「あの子はこうだな~」とね

何人くらいのお子さんを見て、「子どもって」と定義しているか、

考えてみてください

 

わたしは、数えられませんが、たぶん、仕事で出会った子どもの数は、

えーーと、えーーと、大きな塾に勤めていた時は1年で数百人は出会いましたから、

その後、独立して小規模の教室の時、未就園児に対する副業、どんぐり学舎…

トータルで、

個々の子どもについて研究、議論した数だけで2000人はゆうに超えると思います

その中で、わが子はたったの2人で…

「わが子」のいない素晴らしい教育者もたくさんいますよね

むしろ、「わが子」しか知らずに子ども論や教育論を語る方が危険ではないかと

 

先日もラジオで、ママタレントが自信満々に

「男の子って親の命じたことと反対のことをするんです。

女の子は親の命じたことを絶対に守るんですよ。」って

語っていましたけど、

こういうのを、電波にのせて言うんだからみんな影響を受けるわけだよ…と思いました

うちの子って、って言えばいいのにね

それだってその「うちの子」に暗示をかけることにはなるけれど…

最近話題の「教育経済学」とやらの理論も、

パーセンテージが高いからそう言える、という、

そりゃあ、学術的には間違っていない言い方なんですけれど、

(たとえば、男の子には男親の、女の子には女親の指導が合っている、というような)

子どもには性差以外にもいろんな違いがあり、

ひとりひとりの子どもには全部、それぞれの個性と存在意義と権利があるんじゃい!と

全く別の観点からわたしはそれらの話を聞いているのですが

 

とにかく

教育論なんて、ひとつの指針であり、人によってはなんらかのヒントにはなり、

鵜呑みにしなければ、目の前の子どもを見る時のなにか、よいことにつながるならばいいのですが、

それありき、ではどんなよい理論でもうまくはいかないと思うのです

 

わたしはいつも言っています

入塾の問い合わせがある度に、まずは言っています

「基本的には、お家でできることで、ここに通う必要はないんですよ」と

「ここに通うことありき、では、うまくいかないんですよ」と

ここに通わせていたら大丈夫、家でどんな生活をしていても大丈夫、なんて、

そんなことを言う塾があったら、即、いかがわしい塾選手権に出場決定です

 

子どもは、

親を見て育っていて、

子どもは、

衣・食・住すべての環境でできています

子どもが子どもである期間は短く、

親である私たちは、それほど長く子ども中心の生活を続けることはありません

永遠に続くのでは?と一緒に泣きながら少しうんざりした赤ちゃん時代

外出先、絶妙なタイミングで「おしっこ!」と言われへとへとだったあの頃

見事に終焉を迎えたことでしょう

 

わたしたちは、親にしてもらえた

親が親として親らしく生きられるのは、わたしたちの人生のほんのわずかな期間

 

どうせなら、思い切り満喫しませんか

 

結局のところ、うちの教室の塾生ちゃんたちはみんな「いい顔」しています

小さな教室ですから、全員の状態を今からひとりひとり説明せよ、と命じられてもへっちゃらです

そんな規模ですから

そして、頑張ってる親御さん達も知っていますから

頑張ろうとしてもなかなか思うようにいかない、苦しみの中にまだいる親御さんのことも、

わかっています

 

子どもたちの進化のスピードが、確かにそれをわかりやすく反映してしまうのですが、

それだって、

早ければ早いほどいいって訳でもないと思うのです

親は焦ります

あーあ、もったいない、とわたしは心の中で思います

どうすればよいか、方法論は数々示しているつもりです

でも、なかなか実行に移せない、移したいけど、移せない…苦しいですよね

わかっているのに、環境がそれを許さない、というケースも

でもきっとそれも、子どもが背負うひとつなのでしょう

つらいけれど

かわいそうだけれど

 

でももし、

本気で子どもを守りたいなら、

もう一回頑張れるかもしれません

 

誰一人、ここにいる子どもたちの中に、悪い子なんていないし、

本来の姿を取り戻すことはもう無理だろう、なんて子もいません

あとは親御さん次第…という子は何人かいます

 

わたしは、今日も、目を離さず、見てないようで見てる~って笑顔で、

子どもたちを迎えます

大好きな子どもたちを迎えるのです

 

ぷろふぃーる
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