どんぐり学舎

かてごりー:子どもとのくらしの中で

親子の基本的信頼

買い物先で

三頭身のかわいい坊やとお母さん

荷物をたくさん持ってちょっとあたふたしながら

坊やはさっきのお店でお母さんが受け取ったレシートに興味があるらしく

両手で上下に広げて見つめています

「これなぁに」

「なんて書いてあるの」

坊やの質問にお母さんはとってもやわらかい声で

「お買い物、なにしたかな~って書いてあるの

 歯ブラシ3本ですよ、いちご1パックですよって書いてあるの」

「ふーん」

もちろん文字も数字も読めない坊やは

お母さんの言葉を聞いてからもじーっとレシートを見つめています

 

きっと

賢く優しい子に育つことでしょう

 

雨の日の子連れのお買い物は大変ですね

おんぶやおむつの頃はまだしも、

歩き始めた幼児との買い物が一番大変

 

それでも、

穏やかな、やわらかな、優しい声で

ちゃあんとお子さんの質問に答えているお母さん

興味津々の坊やは知識欲も好奇心もそして

親に質問をなげかけて、受け止めてもらった、という満足感も満たされて

本当に幸せです

 

こんな小さなことの積み重ねで

子どもたちは健やかに心身を成長させていきます

 

まっすぐ進みたい大人に対し、

寄り道したい子ども

結論を急ぐ大人に対し、

余計なことに興味を持って脱線する子ども

忙しい毎日に、大人はやっとこさ生きている

それはきっと、みんな同じ

でも

心にゆとりがないとか、

時間や金銭に余裕がないとか、

子どもには関係なくて

ただただ、自分のことを一番好きでいてほしい

自分の話に耳を傾けてほしい

 

ふと、負の蓄積について思い出しました

 

それは、この親子を見る前に見た別の親子を見ていてのことです

何か訴えているわが子を、まるで荷物のように振りまわし、

地べたに座って号泣しているのを無視して車に荷物を積み込んでいたお母さん

途方にくれているんでしょう

きっと、毎日大変なのでしょうね

視界には入っていましたが、さすがにそこで声をかけたり手を差し伸べたりする勇気はなくて

ただただ、少し離れて様子をみていました

まさかそのまま車で走り去ってしまうことはあるまい

お母さんはもう一度、子どもの腕を引っ張り上げますが、頑として動こうとしません

腕がちぎれそうに見えました

子どもの泣き声もさらにヒートアップ

こうなると、お母さんの気持ちも穏やかに戻るはずはありません

わたしの横にいた年配の女性達が

やはりどうしたものか、とただ見ているしかなかったようなのですが、

さすがに「…ちょっと…」と近づいていきました

「だいじょうぶ?」とその方がお母さんに声をかけた瞬間、

お母さんはキッとにらみつけ、

地べたに座って泣いているわが子を車の中に”放り込んで”

ばたん!とドアを閉じて走り去っていきました

 

いつもは穏やかなお母さんが、ただ一度だけ、どうにもならなかった日だったのかもしれません

普段の様子を知らないからなんとも言えません

ただ、私が出歩くような時間帯(夕方から夜に仕事をしているので買い物は午前中が多い)に

買い物に来ているのは年配者か、就園前の親子連れが多く、

言葉を覚えたてのようなわが子にひどい言葉を浴びせている人や、

ゲーム機やスマホを持たせて自分は買い物に夢中、なんて光景は珍しくありません

だからついつい、この時も

「あの子はこれからどうなっていくのだろう」と考えてしまったのでした

 

負の蓄積

 

以前も書いたかもしれません

糸山先生の言葉に何度か出てきたので、ご存じの方もいるかもしれません

 

子どもは、見事に「負」を蓄積させます

日常の些細なことから、人生に関わる強烈なことまで、

見事にみんな、その蓄積を背負っています

かつて子どもだった私たちも、もちろんです

自分が背負っている「負」については、また別の機会に考えるとして、

子どもが蓄積する「負」について今回は考えてみませんか

児童精神科医 佐々木正美先生の著書から引用します

 

基本的信頼

乳児期のsubject of crisisは基本的信頼(basic trust)です。これは子どもたちの中に母親的な人(必ずしも生物学上の母親とは限りませんから)によって育てられます。その人が「よきパートナー」になってくれた時に育てられるのです。それから対人関係が段々広がっていきます。しかし誰かとの関係がしっかりできていなければ誰ともできません。

このことは非常に重要です。よく、保育園の中にいるから社会性が育つとか、大勢の中で育つからみんなと交わる力が育つのだと言われますが、それは間違っています。

例えば医師を教育する時に、いきなり多くの患者さんを持たせるような訓練は、誰もちゃんと治療することができない医者を作ってしまうのです。

優れた病院では、新人医師が担当する入院患者さんは一人か二人です。朝から晩まで毎日その入院患者さんのことを考えます。しかもスーパーバイザーがついて、手抜きのない最善の医療というのはどういうことかを徹底して学ぶのです。それからだんだん患者さんが増えていきます。そして外来と入院の掛け持ちになっていくのですが、それができるようになるのです。完全ということはどういうことなのかと一方で知っていると、どういうところは省略しても手抜きにはならないかがわかるのです。

同じように、まず一人ないし二人とのゆるぎない信頼関係ができた人が、だんだんその他の人との関係を広げていくのです。いきなり多くの人と接することは決してよいことではないのです。

赤ちゃんの時に、望んだように愛されるということができていないと、思春期・青年期に自分が望んだような愛され方をしようとします。暴力を用いてでも相手に言うことを聞かせようとします。見せかけの前進であって、発達が次の段階に行くことができなかったのです。

母性性とは相手が望んでいるようにしてあげるということです。ところがだんだん自分の望んだようなことをさせようとする母親が増えてきました。だから親の前ではいい子のふりをせざるを得ないのです。だんだんメカニズムが見えてきましたね。

社会の要請することをこどもにさせるのは父性的な役割ですが、子どもがもっと大きくなってからの担当です。基本的信頼がしっかりそだっていなければ、何歳になっても父性的な働きかけをすることはできないのです。順序があるのです。

望むことを十分してもらうと、子どもは自分を信じることができるようになるのです。自分を信じるための感性を最も基本的なところで育てることができるのです。

基本的信頼は人間に希望を与えます。その反対の「不信」の方は、「希望」の反対で「絶望」かというと、そうではなく、エリクソンはこの時代に「引きこもりwithdrawal)」という言葉を使っているのです。エリクソンは30年以上も前にこういう事実を発見して、われわれに警告しているのです。

2005年子育て協会発行  佐々木正美シリーズ2 『子どもの心が見える本』より引用

 

※「生物学上の母親とは限りません」のでご自分の状況に合わせて読んでくださいね

 

最初に書いた親子の会話は、

難しい説明をしてもわからないだろうな~というお母さんのしなやかな感性で

「歯ブラシ3本ですよ、いちご1パックですよ」と優しく言い換えられていました

もう、それだけで、お子さんへの愛情と、知的好奇心を丁寧に満たす配慮が

感じられます

 

子どもに説明してもしょうがない

 

子どもにだってきちんと正確に説明しなくては

 

どちらも適確とは思えません

でも、生まれた時から一緒にいる親は、子どもが毎日少しずつ、

自分の言葉を聞いて言葉を獲得してきている段階を知っていますから、

今ならこんな感じの説明かな、って感覚でわかるのです

説明する内容そのものより、投げかけられた言葉をちゃんと受け止めて、

ちゃんと返した、というやりとりそのものが、

幼い子どもの小さな心にちゃんと刻まれていきます

 

どんなワガママをいって困らせているのか分かりませんでしたが、

後述の親子の関係は既に崩壊しているかもしれません

一貫した態度で接してこなかったせいか、

親が自分かわいさに気分で受け入れたり受け入れなかったりしてきたせいなのか、

とにかくそのたった1回きりの出来事だったとしても、

この親子がしっかりと信頼関係を構築し治すためにはかなりの努力を要するでしょう

 

小さい頃は従うしかなく、親の前ではよい子でいたとして

(すでに親以外の人の前では問題を起こしている可能性もありますが)

小学校高学年、中学生にもなると、

その反動…負の蓄積の爆発は

小さいのや、大きいの…

随時起こってきます

 

それがいじめ問題であったり、学級崩壊であったり、家庭内暴力であったり

幼いお子さんを育てている人には無縁のような話でしょうけれど、

でも、問題児は急に突然変異で出没するわけではなく、

大人の成人病と同じように、長年の蓄積がふっと不安定なところから顔を出す

そんな現象であることは想像がつくことでしょう

 

長年子どもたちと生きてきて、

蓄積の爆発のパターンには大きく二種類あると気づきました

 

ひとつ目は周囲や家族に対して爆発する外向的な爆発

身近な友達をいじめたり、悪口を言ったり、周囲の子に優しくできなかったり

親の前ではいい子を演じるけれど、反抗的な態度はエスカレートすることもある

 

ふたつ目は自分自身を愛せない内向的な爆発

最悪の悲劇を招くことも

周囲を攻撃する強さはなく、自分自身を追い込んで、閉鎖的になっていく

 

いずれにせよ、自分を愛せない

だって

愛された実感がないのだから

 

それは親の愛なのだよ、と

形や伝え方の違う愛を説明する大人もいます

でも、

いくら送り手が「それは愛だ」と言ったとしても、

受け手が「これは愛だ」と安心していなければ

意味がないのでは

 

最近、小さな小さなお子さんを育てている親御さんからの問い合わせが相次いでいたので、

懐かしい本を取り出して読み返してみました

 

ただ、ただ、子どもだけを見つめてみてください

やわらかい手、あたたかい体、まっすぐな目

全て、あなたに注がれている

全て、あなたの愛を浴びたい一心で

 

 

 

ぷろふぃーる
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