どんぐり学舎

かてごりー:小中学生のこと

学校とは、勉強とは

「知的修練の売り場」かあ…

どっきりしました

まさにその通りだ、と思いました

誰の言葉だ?と思ったら、

”心の灯台 内村鑑三”

上毛かるたでおなじみの、

群馬県民なら小学生から大人まで誰でもそのお顔を知っている、あの方

でも、

内村鑑三が何をした人か?と聞いても、知っている人は少ないかもしれません

ここには「明治のキリスト教思想家」とあり、

代表的著書の『代表的日本人』から引用されているらしいし、

中学校の歴史の教科書には、与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』とともに、

第一次世界大戦に対する反戦論者として内村鑑三の名前が挙がっています

では、いったい内村鑑三は何者だったのか?

…ひとことでは説明できません

 

高崎で生まれ、

札幌農学校で水産学を学び、クラーク博士の影響でキリスト教信者に

農学士として卒業するも

新島襄が作った安中教会(これもグンマ、新島襄もかるたでおなじみ)で知り合った女性と

結婚して離婚して渡米

今度は養護学校で働いたり、大学で医学と生物学を学ぼうとしたけれど、

新島襄のすすめで伝道者に

その後、帰国しいろんな学校で教員をしたり、新聞記者をしたり、

足尾銅山鉱毒事件に関わったり、非戦論者になったり…

その間、聖書研究に没頭した「キリスト教思想家」

 

その生涯と、教育にかかわる場面だけでも取り上げると壮絶で、

意見が合わず転々としたりするわけなのですが…

とにかく私の印象では、

いろんなことを一生懸命勉強して、いろんなところで一生懸命働いて、

生涯、教育や、人生について、そして、キリスト教について考え続けた人

 

自分が受けた教育も、自分が教壇に立った経験も、

彼の人生をたどるだけでいったい何人の歴史上の著名人が現れるのか?というくらい、

激動のさなか、歩んできた人のこういう言葉は、

じっくり考えてみると興味深く、しかも的を射ていると思うのです

 

教育は、これに精進すればこんな見返りがあるという論法で

なされるものではない

次の世代が正しく、そして確実に生き延びられるよう、

自らのもてるあらゆる知恵を伝える事にある

 

家庭も、学校も、みんなここの部分をしっかりと持っていたら、

勘違い教育は生まれないのではないでしょうか

「見返り」とは自分に戻ってくるものであり、

「次の世代」とは自分が生きた後の世代のこと

学問とは、自分のためだけにするものではなく、

自分のあとを生きる世代に生きのびる知恵を伝えるためにするものだ、と

言い換えてみると少しわかりやすいでしょうか

 

自分さえよければいい

技さえ身につければいい

点数がとれればいい

成績がよければいい

高学歴ならばいい

一流企業に就職できればいい

勉強を頑張った見返りに得るものは、

それなりの評価であり、それこそ「自分の実力」

でも

自分さえよければいい

技さえ身につければいい

と、

そのことだけで鍛錬した結果得た「実力」は

私から見ると、ものすごく危険で、傲慢なものに見えます

 

ふと、

テレビの国会中継が目に入り、少しの間見ていると、

国会議員という大義名分を背負っている人たちの中にさえ、

自分さえよければいい

という深層心理が(深層ならまだかわいいか)、

自分たちが何に支えられて、なんのために存在しているか

すっかり忘れて簡単にマイクの前でとんでもないことを言ってしまう言動が、

半分寝ていて、「もう一回質問してください」なんて平気で言ってしまう行動が、

これ、みんなの目指すところなのか、

これ、子どもたちの手本となるのか、

この人達、子どもたちの…次の世代の事、真剣に考えているのか?

と疑うしかないような自体は続いています

 

最高学府まで一生懸命勉強したはずの

人たちでさえ

 

じゃあ、一生懸命勉強するのはいけないことなのか

高学歴はいけないのか、上を目指してはいけないのか

いいえ

そんなことを言いたいわけではありません

そこを目指すのは自立した人間の意志ならとても素晴らしいこと

どんぐり的には中学生からはほぼ自立した人間ですから、

そこから先、自分の能力をどう生かしていくかは、自分次第

眺めていると頼もしく、楽しいものです

(もう、その時点では眺めることしかできないんですよ)

 

なにがいけないのか

 

率直に言うと、

親や、先生が、子どもに考えるすきも、感じる余裕も与えず、

闇雲に、強引に、牽引することです

これはもう、負の連鎖としか言いようがなく、

すっかりとそのレールで教育されてきた親や教師で溢れかえっている現代、

「そうじゃない」って気づく人の方が珍しい状態ですよね

 

でも、身近に出てきている様々な問題は、

やはり人間として育つはずの部分が育っていない、

勉強をする前にふくらませておくべき部分がふくらんでいない、

だから、

後からいくら情操教育を意識したって、興味関心をひこうとしたって、

そう簡単には子どもは振り向かないし、

もはや、目の前に人参をつるすか、厳罰を与える事でしか

動かなくなっている

鉛筆も、体も、心も

動いているように見えるでしょう?でも本当に、自分の意志か

心も一緒に、動いていますか

 

私たちは

ヒトとして生をうけ、ヒトとしてヒトの子を育てています

動物なら自力で歩け、餌をとれるようになれば独立するのが普通ですから、

いつまでもいつまでも「子育て」をしていると思っているのはちょっと違います

ヒトと他の動物とは生物学上の分類は同じようでも、

圧倒的に違うのは社会を形成して文明を発達させてきたことです

知恵を働かせ、自分たちの住む町を、国を、努力と工夫を重ね、構築してきました

他の動物と比べて、こんなに頭がよくて器用なのに、

子育てに関してはかなり不器用で、屈折してきているのがよくわかります

 

親や先生に与えられるストレスが原因で、

同類を攻撃するヒトの子

生きるため、防衛のためでなく、同類を殺傷するヒト

(その場合、残念ながらやはり育った過程になにかある…)

自分たちで作った文明の利器に振りまわされて、理性を失っているヒト

自分たちで作った機械が壊れて、直せなくて近づけもしない、ヒト

 

暴走を止めるのは、誰か

わが子を一緒に暴走させないために、どうすればよいのか

 

自分さえよければいい、って育てなければいい

世界はヒトだけのものじゃない、って知ればいい

 

周囲が見えない他者を感じない(世界に親しかいない)乳幼児期から自然の中で

風や気温や葉っぱや土を感じて、

子どもが感じたことを「そうだね」って共感してあげるだけでいい

 

みんなみーんな生きていて、

みんなみーんな優しいね、って知ればいい

安心して、周囲に視野が広がってきたら、

いろんなものに名前があること、みんな意味があること、

一緒にいっぱい話せばいい

小さなできごとに傷ついたら、どうしたらいいだろうね、って

話せばいい

一番近くにいる大人が、

優しい気持ちで、あたたかい気持ちで、包んでやれば、

自然と優しく、あたたかで、そして賢い子に育ちます

 

熊が冬眠から目覚める頃ですね

先日ドキュメンタリーで、クマの子殺しのことを見ました

クマのオスは、自分の遺伝子を残すため、冬眠明けのメスを探します

メスは冬眠中に子どもを産んで育てていますが、

オスはそのメスに自分の子孫を生ませたいために、

自分の子でない子グマの命を狙います

母グマが必死にわが子を守ろうとする姿と、

オスグマが執拗に子グマを狙う様子を実際の映像で見て、

いったいどうしてこんなことをするのだろう…と考えてしまいました

自分たちの「種」を残すためなら、同類の子を殺す事は、マイナスなのではないか

そういう動物は他にもいるようなのです

ヒトの場合、

ほとんどの場合、そんなことをすることはありません

野生動物は無知だから?

…そこまで調べていないし、

実際にクマにインタビューしたり、

精神鑑定をしたりした人はいないと思うのでわかりませんが、

それがクマの生き方なのでしょう

それがクマが生きるためにとる手段なのでしょう

「同種」などとヒトが決めたモノサシで、勝手に見ていますが、

彼らにとって「種」とは「自分」なのかもしれません

みんなで生きていこう、という種もいれば、そうでない種もいるのでしょう

 

以前も書きましたが、

恩師が話してくれました

 

地球上、どんな気候でも環境でも最大限に分布し、

生きている生物はなにか知っていますか?

 

それは

ヒトです

 

ヒトは、知恵を絞って、仲間と協力して、

地球上のあらゆる場所に暮らすことができています

分厚い毛皮を持った動物や、

水中でも長いこと息継ぎしないでいられる海獣類のように、

身体的には恵まれて、優れているわけではありません

でも、

ひ弱な身体を守りながら、生き抜くための知恵と工夫と協力を重ね、

地球上で最も最も力を持つ生物となりました

 

でも、

ひとりでは無理だったはず

自分さえよければいい、というヒトには、生きのびられなかったのです

 

人類は何度も、発生しては絶滅し、絶滅しては発生し、

直接の祖先が生きのびて現代人に続くまでは、

何度も絶滅してきました

最後の祖先がなぜ生きのびたのか、それは

ヒトが「思いやり」を持ったからだと恩師は教えてくれました

遺伝子に「思いやり」が組み込まれたからだと

 

私たちの遺伝子に組み込まれている「思いやり」

ヒトがヒトとして自然に生きれば

その遺伝子はすでに組み込まれているのですから、

邪魔さえしなければ、

ヒトは誰でも

ヒトを思いやるはず

 

子どもたちが集まって勉強する小学校とは、

ヒトがヒトとして育つために

あらゆる可能性を広げて、受け入れて、

自ら学び出すための礎を構築する最も重要な教育機関

偏って、決まりきった方法をトレーニングする場所ではなく、

柔軟で、無限大の思考を育み、認める場所

他者に関心を持ち、自分以外の性質を見る場所

世界は広い、自然は大きい、と知るだけで、興味にとどめ、

中学生からは自分の学びへとつなげていく

より専門的に、より具体的に、知りたい事をひとつずつ解き明かしていく

クイズの答えを先に知っていることほど退屈なことはありません

一生懸命考えているのにヒントを連発されるのも

一瞬の優越感は何も生み出しません

ただただ「優越した」という傲慢な経験しか

 

教育者は、知っていなければなりません

ヒトが持っている遺伝子と、ヒトの成長過程を

わたしたち教育者のすべきことは

知的修練を売る事ではありません

 

子どもたちが

真の人間になるために

次世代が生き延びるために

私たちはもっと知っていなければ

 

 

 

 

 

ぷろふぃーる
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